※伝授を受けていない人が唱えてもなんの意味もありません。
ゼロコンの単語一覧はこちらになります。
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①人間は生まれた時から自分の意識がバラバラ
顕在意識・潜在意識・無意識・超意識という具合に、
人間は自分の意識が生まれた時からバラバラのため
自分で自分のことがわからないように生まれついている。
②この世界は自由意志が尊重され、無条件の愛でなんでも叶えてくれる
あなたは生まれた時から自分のことがわからなくても
この世界はあなたの自由意志を尊重し、
あなたの意識のほとんどである潜在意識・無意識の願いがなんであろうが
無条件の愛であなたの願いを叶えてくれる
③あなたの願いは自らを傷つけたいという破滅・死である
人間のあらゆる動機は三毒である。
三毒とは、
・自己無価値感
・罪悪感
・死の恐怖
この3つである。
だからこの願いを叶えてくれる。
あらゆるすべての言動がここから来ている。
自分には価値があると思いたいから頑張るし、
自分が自分を責めていることを知りたくないから投影するし、
死を避けたいから幸せを求める。
あなたの潜在意識・無意識に埋め込まれたプログラムは
「死」である。
変化を求めず現状維持を好む。
なぜならその方が「安全」だから。
肉体の死を避けるために安全を好む。
それこそが永遠に現状維持を望んでいるということ。
永遠に同じ場所に留まること・現状維持が「安全」だから。
なにか新しいことをするリスクを冒す必要がないからだ。
新しいこと、変化とはリスクなんです。
④上記の③をいきなり知ろうとしても知ることができない
自分の心の中にそんな三毒なんていうものが本当にあるのか?
そんな破滅に向かうようなプログラムなんかあるのか?とあなたは思う。
なぜなら人間の意識は生まれた時からバラバラで自分のことがわからないようにできているから(①)
ではどうやったら知ることができるか?
⑤自分の事を知る唯一の方法は投影を理解すること
投影をしている時こそが唯一自分自分を外側に押し付けているときだから、
自分を知ることができる唯一のチャンスが舞い込んでくる。
なぜなら「心」というのは外側に広がる性質を持つので、
心は投影するか
心は拡張するか
このどちらかしか選択できない。
投影は自身の心の闇を外側に押し付ける方法。
外側に押し付ければ、
それは自分の中にはない!
その原因は外側にある!
わたしの中にあるわけではない!
と言うことができる方法が投影。
自分の心の闇を外側に押し付ける方法が投影。
心の中にあるものを外側に押し付けるという方法で広がっていっている。
自分の中の愛を外側に広げ拡張するのが愛。
愛と投影はどちらも心の広がりだが、外側に広げているものそのものが違う。
投影は闇を押し付け
拡張は愛を運動する光とする。
愛の拡張はここにおいてはどうでもよい。
勝手に自然に拡張するから。
なぜなら心は外側に広がる性質を持つので、
愛があれば勝手に広がる。
⑥投影を理解することを諦めてはいけない
投影を理解するのは難しい。
なぜなら今までと心の使い方を真逆にしないといけないからだ。
投影とは、
自身の闇を見たくないばかりに外側に押し付けるのが投影。
外側に押し付けることに成功すれば、
自分の中にそれ(闇)はない!とすることに成功するからだ。
ひとのせいにできるし、
他責思考ができる。
自分に原因も責任も心の闇もないとすることができる。
心は外側に広がる性質を持つのでエゴは楽に自身を増大させることができる。
投影を理解することを諦めてしまうのは
自分自身に興味がないし、
自分が創造している人生に興味がないということになってしまう。
なぜなら、投影が自分自身を知ることができる唯一のチャンスだから。
なので投影を理解することを諦めてしまったら①を諦めたということ。
生まれついたときから自分のことがわからないというこの状態を貫きたいということ。
それは
自分の人生がなぜこうなのか?という自由意志が尊重され、
無条件の愛でなにが叶えられているのかを知ることができなくても構わない(②)ということになり
自分のあらゆる言動の動機が③であることを知りたくない、
現状維持を好みたい(③)、変化を拒みたい(③)という意志の表れそのものであり、
自分がいかに変化したいなんて思ってないということが如実に表れるということ。
だから投影を理解することを諦めてはいけない。
このゲームで唯一切り崩せるところだから。
人間がどれほどがんじがらめに死に向かい、破滅に向かい、現状維持を好むのかわかったら、
この唯一切り崩せる投影という心のシステムがどれほどの救いになるか。
ここに救いを感じないのは①②③④⑤を理解していないということ。
言葉だけ、あるいは言葉すらも理解できず、まったくもって自分で見に行けた試しがないということ。
では次に
「私は投影を諦めずに毎日心の闇をわからないながらも、苦戦しながらも見つめるようにしています」
という稀有な方は、
④をちゃんと理解しているのならOKですね。
なにも起きていないのにいきなり内観しようとしてもまったくなにも見えてこないってことです。
自分の心の中は投影している時しか見えないんです。
投影している時は思いっきり丸見えになるぐらいエゴが自身の闇を外側に押し付けているので、丸見えになるチャンスなんです。
普段は理性で隠しています。
人間は複雑です。
複雑ですが、まったくもって同じ心と意識のシステムを採用しています。
だからみんな同じなんです。
みんな同じ心の構造をしています。
まったく同じ心の構造をしています。
だから誰の投影していることも自分の事もすべて丸わかりになります。
なぜならまったく同じシステムを採用しているからです。
人間の心は複雑です。
ひとりひとり違います。
でも構造はまったく同じです。
自分のことがわかれば他人の心の動きもわかります。
なぜならまったく同じシステムを採用しているからです。
僕が誰かの心の闇を見つめるのができるのは
みんなまったく同じ心の動きをしているのがわかっているからです。
みな同じなんです。
そして、その最終終着点が三毒(③)だとわかっているのならもうぜんぶわかっているのと同じなんです。
投影を理解するのはいままでと真逆の心の使い方をしないといけないので
外側に押し付けていたものを回収して、自分の中にあるよね?っていう心の使い方をしないといけないので、
びよーんと外側にガムとゴムの性質を持っているようなドス黒いものを外側に投げつけていたのを、
そのびよーんを内側に回収すると、
「内側からこのガムゴムの黒いもの出てるやないか!
投影している時はその原因は完全に外側にあると思っていたけど、内側にあるやないか!」
このように心の使い方を、投影の回収をするという真逆にしないといけないわけです。
これが慣れるまでに難しいのかもしません。
さらにそこからそのドス黒いガムゴムがなんなのか精査しないといけないわけです。
ここがむずいのかもしれない。
でも構造は同じなので、一度わかれば「いままで何がわからなかったんだろう?」という状態になると思います。
精査する方法は「心の闇を見つめる」というセクションにいっぱい書いてありますね。
あと鏡は2枚あるってことを理解しないといけないのかもしれません。
なにげに1枚目の鏡から投影をみんな考えてるんだなと思う時があります。
鏡は2枚あるんだよな。
2枚目から考えた方が簡単じゃない?っていつも思うんですけど、
1枚目からでも考えられるけど、すぐに2枚目として回収するだけになっちゃいますけどね。
たとえば、
周りに寝坊助ばかりがいるという現実をいつも創造しているなと気づいたときに
この現実の創造は1枚目の鏡。
その寝坊助たちに「このクソどもはなんで起きないんだ?」という怒りが2枚目の鏡。
1枚目の鏡を気づきのスタートにしちゃうと、気づきが遅いよね?
創造されてからじゃないと気づけないってことでしょ?
2枚目の鏡は、心は常に感情的に揺らいでるから、毎日毎瞬毎瞬、投影に気づけるよね?
心が毎日毎瞬いかに投影しかしてないかって
頭がくらくらするぐらい投影しかしてないって気づいて
心が逆に忙しくなっちゃうことに気づけるぐらい投影に速攻で気づけるよね。
そっちの方が足が早い気がするけど。
自分で現実を創造しているという鏡1と
その創造した現実という鏡に自分のゴムガムなドス黒いものを投影するという鏡2があるんだけど
鏡に鏡を映して文句を言うというわけわかんないことやって、
自分以外誰もいないという世界になるんだけど、
そこからさらに進むと中庸を見出すために「他者」というものが存在するというわけわからない状態になりますが
それはまだどうでもいいです。
まずは
・鏡が2枚あること。
・投影を理解すること。
投影の理解を諦めてしまうってことは①②③④⑤の理解を諦めた、
人生をあきらめた、
現状維持ほどよいものはないぜぇという心癖に
自分は従っているということになるということだけです。
それはつまり、変化したくない、自分を癒したくない、死にたいという自殺願望が為せる業(わざ)です。
で、だいたいのひとがそれ(投影を理解する)をやってのけるという稀有な人になれずに、
③のとおり、人間がいかに破滅をプログラムされているかを強く証明しているだけってことです。
自ら③を人生で証明してるはずです。
自分で自分の破滅思考にそこで気づいて踏み留めるのか、
見なかったことにして、③をスルーするか、どちらかですね。
人間に自分で自分を救うのが難しいのは、
自分で自分のことがわからないからなんだぁ。①
自分がどういう状況なのか理解できないから、あっぱらぱーのままでいられるわけよ。
自分がいかにがんじがらめになるシステムを採用した地球に遊びに来ているかわかってしまったら
投影の理解がいかに重要か、そこがいかに唯一の突破口かわかるだろうからなぁ。
どんなに高尚な魂でもここに来たらもう終わりなんだなって言うぐらいこの世界はやばい。
いままでいわゆる「悟った」というひとすべてが自分だけ悟って世界を救わなかったことがそれを物語っている。
この世界っていうのは救うべき対象じゃなくて、そういう「場」なんだなと。
この世界に入るとアホになって、アホから元に戻るというゲームの「場」だから
世界を救っちゃダメなんだろう。
そういう難易度の「場」だから。
なので何年何月になったら世界がひっくり返るとか世界が救われるとか
そういう救世主が外側に現れるという救世主思考は自分で何もしたくないっていう破滅思考が原因かと。
自分は無力で何もできないという③を持っていることを証明する思考かと。
あなたの人生のやることなすこと全てにおいて③を持っていることを証明する人生を人間は送ってるはずなんだよ。
「人間というのはみなあなたみたいに強いわけじゃない。立ち向かえない心が弱い人間もいる」
はい、そうだと思います。
ではなんで心が弱いのか?
③を持っていることをひそかに受け入れているからですね。
そしてそれを一生自分で何とかできないのが人間なのです。
意識がバラバラで潜在意識があなたのほとんどで、
自分の意識が何を思っているか認識できていなくても
あなたの自由意志が尊重され、
無条件の愛でどんなに自身を傷つける願いを持っていても叶えてくれる。
潜在意識が自然治癒力を持ってないってことは
ずっともうなにをしようがそのままってことが最初から決まってるってことでしょ?
もうなにをしても無駄ってことじゃないか。
生まれた時点で無駄ってことがわかりきってるじゃん。
人間というのは生まれた時点で詰んでるんですよ。
「本当にそうなのか?」と思いますか?
それはあなたの人生のすべてで証明しているはずなんです。
必ず③を起点に人生の運命の輪は回っています。
それがわからないのは①がわからないからです。
人間に自分で自分を救うのが難しいのは、
自分で自分のことがわからないからなんだぁ。①
ってさっき言った通りです。
人間は現状把握ができてないので、ボーっと生きてしまう。
この地球がいかに高難易度か。
いかに投影しか切り崩すところが見当たらないかが把握できていないから、
投影の理解をやらないという選択肢を選択できるわけです。
①(自分自身)を理解するためには⑤(投影の精査)をやり続けるしかないんですが、
やり続けると③にたどり着いて三毒がわかるんですが、
そこにたどり着くと絶望しかないとわかるはずです。
次に判明するのは、
「自分を救う手立てが用意されてないじゃん、このゲーム!!」ってなるわけです。
だって、投影を理解して、自分のことがわかっても
潜在意識が自然治癒力持ってないから、ずっとそのままで
自由意志が尊重されて、無条件の愛でなんでも叶えてくれるけど
人間の根本である運命の輪が三毒のままなんだよ?
「それがわかった。。。。
で?」
となりますよね?
自分を救う手立てが用意されてないじゃん、、、という絶望しかないという。
「どうなってんだ、このゲーム?
ゲームとして成立してるの?」
っていうところに行き着くしかないんです。
人間というものを理解するとこうなるはずです。
だから人間は幸せを捜し求めるんですよ笑
生まれた時から詰んでるから幸せを捜し求めるんですよ。
生まれた時から意識のすべてが幸せなら捜し求めねーから。
なのでそこで宗教の登場です。
もう見えない何か神秘的なものにすがる以外になにも救う手立てが用意されてないわけです。
それを外側ではなくて内側に求めたのが仏教ですね。
なのでみんなで仏教やろうぜ!って話じゃなくてですね、
元に戻ろうという菩提心がないと
この世界では生まれた時から詰んでるというこの高難易度はどうにもならないぜぇ?という話です。
手前味噌ではありますが、
潜在意識に自然治癒力を持たせて、
自身の持っている周波数を自動解析して逆位相を流して空にしていくという方法論、
ホメオスタシスが発動しようようにいままでの自分(現状維持)に戻ろうとしないように
洗練されたこの波動を扱えるようになることの意味を
死んだ後に理解してももう遅いからね?
ボートは出したぜ?
人間というものの現状把握をしたら絶望しかないし、
絶望の果てに救う手立てすら用意されてないというさらなる絶望しかないわけです。
これがわかんねぇーっつぅのはですね、
何度も恐縮ですが、
寝ながら生きてるんですよ笑
いや本当に。
比喩じゃないんです。
人間っていうのは本当にヤバイんですよ?
「人間はなんで苦しむんやろ? そうか、、、人間ってやべぇー!三毒やん!」って看破したシッダールタが
救いの手立てを捜し求めたのが、仏教なのかもしれんが、
救う手立てを求めて瞑想して、
マントラ唱えて、
アーサナとって、
真我を求めたのが昔の宗教ですよね。
もともとは今みたいな宗教と言う形を取ってなかったと思いますけど。
で、そこに真我なんか万が一にも現れたら餓鬼は神秘体験を求めて瞑想ばかりするわけですよね。
禅でいう魔境ってやつですかね。
こないだOSHOがゆーてましたよ。
「思想家は考えることを通して逃避する、
芸術家は自分の作品を通して、
政治家は権力を通して、
金持ちは資産を通して、
苦行者は放棄を通して、
信仰者は神を通して。
だが、生の真理はおのれの自己からけっして逃避しようとしないひとによって会得される」
って。
んで、そこのコメント欄に
「瞑想家は瞑想を通して逃避する」って書いてあった。
そのコメントに瞑想大好きな二人が反論してたけど、
瞑想を通して逃避することは余裕で可能だろう。
ほとんどのひとが逃避のために瞑想やってるだろうに。
でも一番最初は別にそれでいい。
苦しみには限界があるからだね。
※
OSHOの「おのれの自己」っていうのは原文だとなんて書いてあるのかわからないけど、
きっと小文字のselfって表現されてるんじゃないかなと思う。
小文字のselfは自我(エゴ)のことだと思うんだな。
啓示を唱えてなにも起きないことに神の恩寵がある。
餓鬼にそれを与えるわけにはいかない。
ホメオスタシスが発動しないようにゆっくりと最速でエゴを殺していかないといけない。
真我に出会うというのがあまりにも圧倒的ななにかだと思っているのかもしれないが、
神の王国はあそこにあるここにあるとは言えない。
あなたとあなたがたのあいだにある。
つねにそれはそこにあるけど、誰も気づけないほど穏やかに当たり前に存在している。
ここにこのゲームの救いの手立てが用意されている。
それは
劇的な何かではない
ということ。
でも人間(③)はこれを嫌がるんだなぁー笑
圧倒的何かで自分を劇的に変えて欲しいと思ってるんだなぁ。
変化を拒むくせに。
変化を拒むということと、
劇的な何かを求める動機が同じだからなんだよな。
変化を拒むのは③の三毒に心が支配されているから。
劇的な何かを求めて救いが外側にあると思うのは自分には力がないという心が三毒に支配されてるから。
だから人間は変化を拒むために劇的な何かを捜し求める。
(この矛盾、わかるかな?)
これだけ見ても人間の心が③で支配されている事がわかるよね。
ここから逆転せにゃーあかんわけです。
まぁといってもですね、
心の使い方をいままでと真逆にしないといけないですし
いままでと違うことをやらないといけないから心が負担なのはわかるけどね。
なんで負担なのかっていうのは、
新しいことはリスクだからさ笑(③)
もう自ら証明してるんだよな。③に支配されてるって。
簡単にわかるじゃんね?笑
ここまで言ってわかんないっていうのは、たぶんもう今世はわかんないんだろうな。
徳を積んで来世に賭けましょう!